Giancarlo Tokyo | 六本木ナポリピッツァ&イタリアンレストラン

フィレンツェからすべてがはじまった

小曽根美佐夫イタリアシェフ

「初心忘れるべからず」

私が初めてイタリアへ行ったのは、菓子職人から料理の世界へ飛び込む瞬間でもありました。
飲食業経験は、ほぼゼロ。
帰りの飛行機代も持たず、イタリアのフィレンツェへ。
純粋なイタリア料理を学びたいという強い気持ちのみ。

フィレンツェを選んだ理由は、
単純に住んでみたかった。
そのお店を目指し、イタリア語もほとんど分からない状態で、面接。
手に直接書いて暗記した少しのイタリア語だけが頼り…。
そんな中、強い気持ちが伝わり、採用。ラッキーでした。

右も左も分からない状況のなか、
持ち前の明るさで、徐々にコミュニケーションがとれるようになる。

実家が商売をやっていたため、
少年時代から親の仕事を手伝い、
お客さんに喜んでもらえる喜びの体験を重ねる。
それは、今のサービス精神の大元となっている。
この精神は、イタリアと相性が良かった。

そしてある時、転機が訪れるました。
人出が足りないことから、スープをつくるよう命じられる。
今までに作った経験もない。
必死になり情報を集める。日本の雑誌など、あらゆるものに真剣に目を通す。

完成したもの…今でも忘れられない一皿。
グリンピースのスープでした。
このスープが、イタリアでの初料理である。しかも、地元の新聞に紹介されるほどの高評価。
それをきっかけに、お店の看板「パスタ部門」を任されることに…。
この時のオーナーシェフは、とても厳しい人で、
実力があると抜擢されるが、されなければすぐに外される、
完全実力主義のお店であったので、本当にめいいっぱい頭も身体もフル回転でできることをやる日々。

私はもともと、
製菓で和菓子を作っていたため、手先は自信があった。
特に、和菓子でよく作っていた、同じ形で綺麗に整頓して並べる、
これをパスタのニョッキや、トルテッリーニに応用すると、その美しさにイタリア人達から「コイツすげえな」という目で見られるようになっていったのです。

あの頃の私、自分に持ってるもの、見たことのあるもの、全てを一つ一つの料理に込めてました。
インプットとアウトプットの繰り返し、時は流れましたが、この気持ちは料理人である以上、
今も日々、大切にしたいと思っています。
フィレンツェは料理人としての私の心の故郷です。

私はピザ職人ですが、イタリア人もうなるちょっとしたショートパスタ名人でもあります。
近々、何種類かのショートバスタを作って、イタリア家庭料理のイベントもできたらなと考えてます。
皆様、是非お楽しみにしててください。

小曽根美佐夫イタリアシェフ

writting・取材:ondweb&table

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